ハラスメント対策最前線ハラスメント関連の判例解説(33)

ハラスメントの証拠としての秘密録音

難解な裁判例もわかりやすく解説!成蹊大学法学部教授 原 昌登 先生による「職場におけるハラスメント」に関する裁判例の解説です。
ハラスメントを未然に防止する観点から必要なことを、実際の裁判例をもとに考察し、企業におけるハラスメント対策の一助となることを目的とする連載です。
裁判例を読み解き、どのような言動がハラスメントと扱われるのか、そして企業はどのように対応すべきであったのかなど、企業のハラスメント対策上の学びやヒントをご提示しています。ぜひ企業でのハラスメント予防にお役立てください。
※裁判所の判断の是非を問うたり、裁判所の見解に解釈を加えたりするものではありません。
※凡例 労判○号○頁:専門誌「労働判例」(産労総合研究所)の該当号・頁

これまでの「ハラスメント関連の判例解説」はこちらをご覧ください。
ハラスメント関連の判例解説new

今回の記事で参照した裁判例は、医療法人社団B事件・東京高判令和5・10・25労判1303号39頁です。

【テーマ】秘密の録音も、ハラスメントの「証拠」としての意味をもちます。

1.概要

今回は、マタハラの被害者が従業員控室で秘密裏に録音した音声データが、マタハラの証拠として法的に認められた事例を紹介します。

2.事案の流れ

歯科医師X(女性)は、医療法人社団Y1が経営する歯科医院に勤務しており、不妊治療を経て妊娠・出産に至りました。Y1の理事長で歯科医院院長のY2(女性)は、Xの不妊治療や妊娠後の体調不良(つわり)にも配慮し、不妊治療の際は週の勤務日を減らす、体調不良の際は体を一番に考えるようにXに伝えて休職を認め、診療予約の調整を行うなどしていました。
Xが40日ほどの休職から復帰後、休職中に代わりの医師が行った診察内容や患者の割り振り等をめぐり、XとY2の関係が悪化します。その後Xは再び2か月ほど休職し、産休、出産、育休と続きました。
Xは、下記3に挙げた多数のマタハラやパワハラをY2から受けたなどと主張し、Y1とY2に対し、マタハラ等が不法行為(民法709条)に当たるとして損害賠償(慰謝料)等を請求します。

3.ハラスメントと主張された行為

Xがマタハラやパワハラに当たると主張したY2の行為は非常に多く、合計で72件です。大きく整理すると、①Xに対する注意や叱責、②診療予約の変更、③いわゆる仕事外し(診療予定表に記入されたXの診療予定時間をY2が独断で30分延長し、Xの診療予約が入りにくくなるようにしたことなど)、④陰口(歯科医院の控室における歯科衛生士らとの会話の中で、Xの態度が懲戒に値する、子供を産んでも親の協力は得られないのではないか、Xの育ちが悪い、家にお金がないなど、Xを揶揄する発言をしたこと)の4種類に分けられます。
なお、上記④の陰口は、Y2が自分の悪口を言っていると疑ったXが、証拠を得ようとして院内のオープンスペースである控室に秘密裏にボイスレコーダーを設置したところ、偶然Y2の会話を録音することができたため、その録音の反訳(文字に起こしたもの)を証拠として裁判所に提出したことから明らかになったものです。
地裁(東京地判令和5・3・15労判1303号53頁)は、上記の③についてのみ、不法行為に当たると判断しました。ただし、Y2の行為によってXに診療予約が入らなかったとしても、最低保障給としてY1がXに支払っていた賃金額が、Xに予約が入ったと仮定した場合の賃金額(予約診療分の歩合給をプラスした額)を上回るため、Xには実質的に損害が出ていないと結論付けました(なお、上記の④については、以下で見る高裁の判断と同様に陰口があった事実は認めたものの、不法行為とまではいえないと判断しました)。X、Y1・Y2の双方が控訴したのが本件です。

4.裁判所の判断

裁判所は、まず、使用者がマタハラやパワハラに関する防止措置義務を負うこと(均等法11条の3、労働施策総合推進法30条の2)、妊娠・出産等を理由とする不利益な取扱いが禁じられていること(均等法9条)などの規定を「踏まえつつ」、Y2の言動が不法行為に当たるかどうかを判断すると述べました。
その上で、上記3の①②については不法行為に当たらない、③④については不法行為に当たると判断しました。特に④に関する秘密録音については、「他の従業員のプライバシーを含め、第三者の権利・利益を侵害する可能性が大きく…相当な証拠収集方法であるとはいえないが、著しく反社会的な手段であるとまではいえない」として、地裁と同じく証拠とすることを認めました。
そして、「院長(理事長)としてのY2の地位・立場を考慮すると、他の従業員と一緒になって…Xを揶揄する会話に興じることは…Xの就業環境を害する行為に当たることは否定し難い」と判断します。結論としてXの控訴を一部認め、④に関する慰謝料20万円等をXに支払うことをY1とY2に命じました。

5.本件から学ぶべきこと

本件は、妊娠・出産の際の上司(経営者)の言動によって労働者の働く環境が害されたという点で、まさに正面から「マタハラ」に当たる事例です。ポイントは大きく3点あります。
1点目は、まず何よりも、秘密録音を証拠として認めた点です。本件は、スマートフォンやICレコーダーを本人が携帯して会話を録音するのではなく、職場の誰もが自由に使うことができる控室(休憩室)に設置した機器で会話を録音していた点が特徴的です。
一般論として、録音はそれが秘密裏に行われたものであっても、証拠となります。特にハラスメントの事案の場合、相手に「今から録音しますよ」と言った瞬間、相手はハラスメント発言をやめるでしょうから、秘密録音を証拠と認めないと、録音は証拠としての意味をもちません。ただ本件では、控室の会話をいわば無差別的に録音しています。マタハラとまったく関係がない会話を録音された同僚等もいたと思われますが、プライバシーの侵害だ、と感じても無理はありません。
裁判所も上記4のとおり「相当な証拠収集方法」ではないと述べていますし、こうした秘密録音は、証拠を得られる反面、他の従業員との関係でプライバシー侵害等のトラブルが生じうることも、十分に注意すべきといえるでしょう。ただ、Y2のマタハラ発言を証明する「証拠」としては、法的な意味を失わないということですね。
2点目は、Y2がXを揶揄する発言をすることが、Xの働く環境を悪化させると認めた点です(ここは地裁と高裁で判断が変わった点です)。この点は、Y2が経営者(理事長)の地位にあったことが大きいといえます。同僚等が陰口を言うことがあっても、ただちに言われた側の働く環境が害されるとまではいえないでしょう(もちろん陰口が良くないことは言うまでもありませんが、そうした会話がすべて法的に違法とまでは言い切れないということです)。他方で、Y2のように職場で「立場」がある場合は、こうした陰口等についても法的責任が問われうるということです。いわゆるマネジメント層など、管理職や役員、経営者の方々は、特に気を付ける必要があるといえます。
3点目は、Xが非常に多くの言動を不法行為に当たると主張したことに対し、裁判所はこれまでの判例等も踏まえつつ、1件ずつ丁寧に判断を行ったという点です。上記3の①~④のうち、①の注意・指導はXの人格等を否定するものではなかったこと、②の一般的な予約の調整には使用者側に裁量があるとされたことが、適法とされたポイントです。③は、②の調整とは異なり、診療予約の枠を改ざんするというやり方に問題があった(まさに嫌がらせといいうる)点が、違法とする決め手になったと解されます(④については上記で述べたとおりです)。いずれも、これまでの判例等から予測できる結論といえるでしょう。
なお、裁判所は、本件の歯科医院はもともと女性が多い職場で(Y2の娘らも歯科医師として勤務していました)、マタハラの素地があったものとは考えにくく、こうしたトラブルに至ったことについてはXの受け止めに起因するところもあると述べています。いわゆる「ボタンの掛け違い」を完全に防ぐことはできないかもしれませんが、労使が丁寧にコミュニケーションをとることが基本かつ重要であることも、あらためて意識すべきといえそうです。

(2024年6月)



プロフィール

原 昌登(はら まさと)
成蹊大学 法学部 教授
1999年 東北大学法学部卒業
専門分野 労働法

著書(共著)

労働法の分かりやすい入門書(単著)として、『ゼロから学ぶ労働法』(経営書院、2022年)、『コンパクト労働法(第2版)』(新世社、2020年)。ほか、共著書として、水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版補訂版)』(有斐閣、2019年)など多数。

公職

労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)委員、中央労働委員会地方調整委員、司法試験考査委員等。
ほか、厚生労働省「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」委員(2017~2018年)等も歴任。

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