ハラスメント対策最前線科学的根拠をもとに進めるメンタルヘルス対策とハラスメント対策(8)

インシビリティ(人としての礼節の欠如)が職場に与える悪影響

職場のいじめやパワーハラスメント(パワハラ)は、既に発生してしまった状態だと、その状態を改善するというのは非常に困難です。いじめもパワハラも優位な立場からそうでない立場に対し行われるものなので、加害者・被害者関係が固定化していることがほとんどであり、話し合いによって解決できる状態ではないことが多いためです。また、いじめやパワハラの発生要因は実に様々です。環境の変化や組織風土、行為者・被害者のスキルや性格、評価制度等の複数の要因があるため、焦点を絞った効果的な対策が立案しにくいという問題もあります。そのため、研究の世界でも、職場のいじめやパワハラを減らすことを目的とした介入研究はほとんど存在しません。あるとすれば、被害者の精神健康度を改善することを目的とした介入研究くらいです。

しかし、いじめやパワハラに至る前の状態、なんとなく人間関係がギスギスしている状態であれば、介入により改善できる可能性があります。それが、筆者が2012年頃にカナダ・アカディア大学のマイケル・ライター博士から教えてもらったインシビリティ(礼節の欠如)という概念です [1, 2]。職場のインシビリティとは、 他人に対する尊敬や思いやりのないことを示す、失礼で不作法な行為が職場に存在する状態のことを指します。例えば行為例として、「あなたの意見にあまり関心を示さない」「あなたの担当業務なのに、判断を信用しない」「あなたが望まないのに、私的な話題に引き込もうとする」などがあげられ、それだけでは直ちに致命的な損害やコンフリクトをもたらすものではないけれども、じわじわと従業員の尊厳や仕事への意欲を失わせ、健康を蝕むような行為とされています。相手を傷つけようとする意志が曖昧であったり、行為者が悪意を持っていなかったりする行為も含む点が特徴的で、「なんだかこの職場、働きづらいな」というような職場のギスギス感の初期段階を測定できるものと言えます。

筆者はこのインシビリティを測定する日本語版尺度を開発し、実際に地方公務員約2,000名を対象に調査を行ってみました [3]。その結果、半数以上の労働者が、過去1ヶ月の間に何らかの、人としての礼節が欠如した行為を職場で経験していたことがわかりました。ちなみに、最も多く観測された行為は「上司があなたの言い分を聞かなかったり、あなたの意見にほとんど関心を示さなかったりした」というものでした。きっとこの行為は、どの職場でもよく見かけられる行為ではないかと思います。もちろんこれだけではパワハラになることはありませんし、よくあるがために職場で問題視されることも少ないのではないかと思います。

では、こういった「あるある」ではあるが、経験すると「地味につらい」行為を受けると、どうなるのでしょうか。筆者の研究[3]では、インシビリティを経験したことと心理的ストレス反応や離職意思の間に正の関連、ワーク・エンゲイジメントとは負の関連があることが示されました。つまり、上司や同僚から人としての礼節が欠如した行為を受けると、ストレス反応が出たり、その職場を辞めたいという思いが強まったり、仕事に対するいきいき度が低くなる可能性があることがわかったのです。言い換えれば、人としての礼節が欠如した行為は精神健康を悪化させ、従業員の仕事に対するモチベーションを下げ、離職率を上昇させうることを意味しています。これは、組織にとって非常に大きな損失となるものです。

このようにインシビリティは、「ハラスメントかどうか」だけに着目してしまうと、定義には該当しないために、どうしても見落としがちです。また、それほど従業員にダメージを与える行為だとは思われにくいため、見過ごされることが多いと思います。ただ実際には、ハラスメントと同等のダメージを従業員及び組織にもたらす可能性があります。それを防ぐためには、ハラスメントに該当するかどうかの判断だけでなく、全ての従業員が健康的に尊重し合って働くことのできる職場環境になっているかどうかという判断基準で、介入の必要性を判断する必要があります。今後のハラスメント対策とメンタルヘルス対策が、ハラスメントの種にもなりうるインシビリティにも着目したものになることを願います。

  • 1. 津野香奈美.職場における礼節の欠如(インシビリティ)とメンタルヘルス、組織への影響.産業精神保健.2014; 22(3): 234-238.
  • 2. 津野香奈美.安全衛生担当者のための最近の研究と実務への応用  職場内の礼節や相互尊重が欠如すると、何が起こるのか? 安全と健康.2017; 18(10): 89-90.
  • 3. Tsuno K, Kawakami N, Shimazu A, Shimada K, Inoue A, Leiter MP. Workplace incivility in Japan: Reliability and validity of the Japanese version of the modified Work Incivility Scale. Journal of occupational health. 2017: 59(3): 237-246.

(2021年3月)

  • 企画担当者向けセミナー・研修

  • 人と場研究所(調査研究部門)

プロフィール

津野 香奈美(つの かなみ)
神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科 教授
人と場研究所 所長
産業カウンセラー、キャリア・コンサルタント
財団法人21世紀職業財団認定ハラスメント防止コンサルタント
専門は産業精神保健、社会疫学、行動医学。主な研究分野は職場のハラスメント、人間関係のストレス、上司のリーダーシップ・マネジメント、レジリエンス。

経歴

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員、和歌山県立医科大学医学部衛生学教室助教、厚生労働省「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」検討会委員、米国ハーバード大学公衆衛生大学院客員研究員を経て現職。

東京大学大学院医学研究科精神保健学分野客員研究員、日本産業ストレス学会理事、日本行動医学会理事、労働時間日本学会理事。

著書(共著)

「産業保健心理学」(ナカニシヤ出版、2017)
「集団分析・職場環境改善版 産業医・産業保健スタッフのためのストレスチェック実務Q&A」(産業医学振興財団、2018)
「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書、2023)*〔HRアワード2023・書籍部門 優秀賞〕

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